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  「ジョージ・ソロス――投資と慈善が世界を開く」

 

『インターコミュニケーション』NTT出版、1999.11, 2000 winter号, pp.160-176.

  橋本努

  HASHIMOTO Tsutomu

 

  00.通貨戦争に勝った男

   ジョージ・ソロスは多彩な人間である。史上最高額を稼いだ投機家であると同時に、東欧改革に取り組む最大の慈善家。また「開かれた社会」[★1]の思想を世界に啓蒙する政治家であると同時に、すぐれた哲学的思考をもつ一流の評論家でもある。数々の類まれな能力に恵まれたこの男は、きわめて怪しい魅力に満ちている。彼は現在、20世紀最大の人物の一人として、歴史に名を轟かすことを使命としているようだ。

   ソロスを世界的に有名にしたのは、1992年におけるポンド危機であった。イギリス政府は1990年に欧州通貨制度(EMS)[★2]へ参加したものの、同国の経済学者や財界人たちは当時、イギリスがEMSから離脱すること、あるいはポンドを切り下げることを主張していた。このときソロスは、イギリス政府がポンドの価値を維持できないだろうと予測し、イングランド銀行に対してポンドを徹底的に売り浴びせた。そして最終的には、イギリスを欧州通貨制度(EMS)

  から離脱させることに成功し、210億ドルもの利益をあげたといわれる。以降、ソロスは「イングランド銀行を叩き潰した男」という異名をとることになった。

   また1997年6月における東南アジアの通貨危機においても、ソロスの名は大きくクローズアップされた。アジア通貨危機の直接の引き金はタイ国通貨バーツの暴落であったが、その影響は各国に波及した。マレーシアのマハティール首相は、ソロスの投機がすべての原因であると名指しで批判している。「われわれ国づくりのために40年間働いてきた。そこに一人の人物がやってきて、1か月ですべてを破壊してしまった。――ほんの数日間でジョージ・ソロスは、数10億ドルもの損失を与えた。損失回復には数年かかるであろう」。

   通貨に対してこれだけの破壊的な影響力をもつソロスは、他方では、ハンガリーやロシアなどの東欧諸国における最大の慈善家でもある。最大の投機家にして最大の慈善家。しかもその手腕は、いずれも「開かれた社会」を構築するために捧げられているという。ソロスは哲学者カール・ポパー[★4]の弟子であり、師の主張する「開かれた社会」を啓蒙する役割を引き受けている。彼の多彩な能力は、しかしいったい、いかなる人格像にまとめあげられているのか。本論では、彼の人生を追いながら、「開かれた社会」の理念について考えてみたい。

 

  01.ソロス、その人生

   1930年、ハンガリーの首都ブダペストに生まれたソロスは、幼少の頃からかなり強い「救世主的夢想」に取りつかれてきた。「自分を森羅万象の創造主、つまり神だと考えることは、一種の病気だといえる。でも私は、もうそのことに不安は覚えない。私は、そのように生き始めたのだから」。

   驚くべきことだ。ソロスは「神」のように生きている。このように述べることのできる人間は、そう多くはないだろう。まず最初に、ソロスの人生を追跡してみたい。

   ソロスの父ティヴォドアは、第一次世界大戦に志願して中尉にまで昇進したが、ロシア戦線で捕虜になり、シベリアの収容所に送られた。しかしその死地を脱出し、何週間もかけてサヴァイヴァル生活を生き抜き、近くの町までかろうじてたどり着く。ところが今度は、革命の混乱に巻き込まれてしまい、ハンガリーに戻ってきたときにはすでに野心を失い、思い描く楽隠居生活を望むようになっていた。父の職業は弁護士であったが、本当に必要なときにしか働かず、顧客から借金して、週末にスキーにでかけたりもした。1939年に第二次世界大戦がはじまると、父は危険を察知して、自分の財産を処分しはじめた。そしてドイツがハンガリーに侵攻する頃には、ほとんどの家財を売り払っていた。

   1944年3月、ドイツがハンガリーを占領したのは、ソロス14歳のときであった。その侵攻は銃声のしない平和なやり方であったが、ソロスの父にとって、いよいよ本領発揮のときであった。ナチスの侵攻という危機的な状況では、通常のルールは適用されない。法律に従う習慣は、かえって危険であり、法律を無視することこそ生き残る道であった。父は家族のために偽造の身分証明書を手配し、生活のための隠れ家を全部で11部屋も見つけ、家族だけでなく周囲の多くの人々を助けた。さらに父は、ハンガリー政府の役人を買収して、ソロスをその息子に仕立てあげた。役人の仕事とは、アウシュヴィッツに連行されたユダヤ系の不動産所有者の財産を没収することであったが、ソロスはその役人と共に国内を回った。もし正体がばれていたら、ソロスは生き延びられなかったにちがいない。

   ソロスは後に、この危険な1944年こそ、自分の人生のなかで一番幸せな時期であったと述懐している。生活はエキサイティングで冒険的であり、尊敬する父がいて、人々の命を救っていたのだから。しかし史実によると、1944年から1945年にかけてハンガリーでは、6万人のユダヤ人が虐殺されている。全体では40万人の大虐殺であった。しかもナチス当局は、強制連行の命令書を配布する仕事をブダペストのユダヤ人協会に命じており、その任務は幼いユダヤの子供たちが担っていた。ソロスもその一人であり、ユダヤ人大虐殺に手を貸したという重い経験をもっている。戦争が終わると、ハンガリーはソ連の衛星国となった。そこでソロス家は、再び祖国の将来を悲観する。1947年、ソロスは父から出国の資金を得て一人イギリスに渡り、1956年には両親も移住することにした。もっともイギリスには頼るべき友人もなく、お金も底をついたので、ソロスはアルバイトを転々としなければならなかった。

   1949年、ソロスはロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)に入学する。苦学生であったが、同時に哲学に対して強い関心を示す学生でもあった。大学時代のある夏休み、ソロスはある室内プールの作業員の仕事を見つけた。ところがプールはガラガラだったので、彼は隣にある大きな公立図書館に行き、好きな哲学書に没頭することができたのであった。後に彼は、当時を「人生で最も素晴らしい夏」だったと振り返っている。LSEでは、とりわけカール・ポパーの『開かれた社会とその敵』[★5]を読んで深く感銘を受けたようである。実際の指導教官ではなかったものの、ソロスはポパーを師として崇め、研究室をよく訪れた。ソロスは将来、カール・R・ポパーのような哲学者か、ジョン・M・ケインズ[★6]のような経済学者になることを夢見ていた。しかし彼の成績では、それは難しかった。

   大学を卒業したソロスは、外国人というハンディのために最初は望んだ職を得ることができず、イギリス北部のリゾート地ブラックプールで記念品や土産物や宝飾品などを販売するセールスマンをしていた。彼の経歴のなかでも最低の時期である。ソロスはこのとき、ロンドンのシティにある金融各社に手紙を書き、マネージング・ディレクターになることを切望したが、シティは閉鎖的な「血縁主義」で固められていた。ようやくソロスは、1953年にシンガー&フリードランダー社に採用されたが、それはそこのマネージャーがハンガリー人だったからである。ところが最初の仕事は、複式簿記に手書きで数字を転記するという退屈な仕事で、給料も以前よりやや少なかった。ソロスはこの会社ではあまりよい業績を出せず、1956年9月、同僚の見習社員の伝手を頼って、ニューヨークのウォール街に赴くことになる。

   ニューヨークでは最初、国際裁定取引の業務に就いた。ある国で証券を買い、それを別の国で売るという仕事である。1959年、ECSC(欧州鉄鋼石炭共同体)の結成をきっかけに、欧州株がブームとなった。当時アメリカでは、対欧州投資に関してはまだ情報が少なく、どの投資会社も横並びであったから、ソロスは欧州投資ブームの先駆者の一人になることができた。ドレフュス・ファンドやJ.P.モルガンのような金融機関も、ソロスの分析レポートに基づいて投資の判断を下した。外国証券アナリストとしてのソロスの経歴は、ここに絶頂期を迎えることになる。

   しかし1961年になると、社会情勢は大きく変化する。ケネディ大統領は、アメリカの経常収支を維持するために、対外投資に対して15%の課税を導入したのである。その結果、ソロスのビジネスは引き合わなくなってしまい、ワーサム証券を辞めてアーノルド・S・ブレイシュローダー証券に転職した。欧州証券ビジネスはすっかり衰退してしまっていた。やるべき仕事があまりなかったので、ソロスは1961年から1966年にかけて、自分の学位論文『認識の重荷』[★7]を完成させることに集中する。ところが彼はその内容に満足できず、結局途中であきらめてビジネスの世界に戻ることを決心した。

   1966年以降、ソロスはアメリカの証券を扱うようになり、1969年にダブル・イーグル・ファンド、1973年に「ソロス・ファンド」(後のクォンタム・ファンド)を設立する。ソロスは相棒のジム・ロジャースと組んで、ソロスが投資決定の判断を下し、その後にジムが調査するという役割分担をしていた。1969年におけるソロスたちの資本金は400万ドル。1973年には、1200万ドル。1980年には、これが4億ドルに膨らみ、現在までの運用利回りは年平均35%を記録している。設立当初に1万円を預けたとすれば、1997年には2500倍の2500万円になっているという驚異的な数字だ。

   1981年、ソロスのクォンタム・ファンドに最初の危機が訪れた。ソロスは最初の妻と別れ、また、大きくなりすぎたファンドの運営をめぐって、相棒のジムとも訣別する。この年のファンドは、創設以来はじめての損失を出した。ファンドは4億ドルから2億ドルに縮小し、運用実績は22%のマイナスであった。

   ソロスはファンド設立当初からこの方、贅沢な生活をすることよりもむしろ、どこまで緊張や不安に耐えられるかという精神の鍛錬に関心があったようである。投資に先だって、あらゆることを知っていなければならないという重圧、そして自分の投資決定は誤っているかもしれないという過剰な自己批判。こうした過度のプレッシャーに耐える騎士精神こそ、ソロスが自分に課したものであった。しかしソロスによれば、このころから自分自身の人格までが変わっていったという。心のなかには罪悪感と恥辱が大きく占めていたが、それを切り抜けることができるようになってゆく。

   同年、ソロスはクォンタム・ファンドを分割して複数のファンドの集合体に変形し、現役のマネージャーから退いて、スーパーバイザーになることにした。ところがこのプランはあまりうまくいかず、1984年にはマネージャーに復帰して、再び投資ビジネスに本腰を入れはじめる。またソロスは、自らの投資理論をテストするために、投資の決定を克明に記述する「リアルタイム実験」を行なっている。その内容はThe

  Alchemy of Finance[★8]の一部として紹介され、多くの関心を呼んだ。とりわけ1985年のプラザ合意では、ドルの下落を予測し、15か月のあいだに114%の儲けを出すという大成功を収めた。しかし1987年に、アメリカは株価大暴落(ブラック・マンデー)を経験し、ソロスも多大な損失を被る。もっとも年間の収支としては14%の利益をあげた。

   1989年、東欧革命が起きると、ソロスの関心は、投資よりもロシアや東欧諸国に対する慈善事業に移っていく。しかしファンド全体としては、1991年から1993年にかけて新たな成長期を迎える。それは、ファンドのマネージャーとして採用したスタンレー・ドラッケンミラーの手腕によるところが大きい。1997年におけるクォンタム・ファンドの運用資金は180億ドル。この資金をデリバティヴで運用し、レバレッジ効果[★9]をきかせれば、その10倍の1800億ドルという巨額の資金を動かせる計算になる。日本円にして約20兆円である。ファイナンシャル・ワールド誌が発表した1993年度の長者番付によると、第1位がソロスで、その所得額は11億ドル、第4位がドラッケンミラーで、その所得額は2億1000万ドルであった。

   最近のソロスの活躍は、「開かれた社会」の社会構想を布教する政治および慈善活動に重心を移している。その内容についてはすぐあとに述べるとして、ここでは最近生じた二つの出来事を記しておきたい。一つは1998年8月のロシア通貨危機によって、世界的な金融不安が生じたことである。この影響で、ヘッジファンドの大手各社は多大な損害を被った。とりわけ「ロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)」の破綻は、その経営陣に、デリバティヴ理論によってノーベル経済学賞を受賞したマイロン・ショールズ[★10]とロバート・マートン[★11]の二人を含んでいたこともあり、世界に大きな衝撃を与えた。一方ソロスは20億ドルにのぼる損失を被り、自らのファンドの一部である「クォンタム・エマージング・グロース」の運用を打ちきることにした。

   もう一つの出来事は、1999年2月に、ソロスの側近としてファンドで働いた経験をもつフガラ氏のブラジル中央銀行総裁への就任である。これに際して米国の著名な経済学者ポール・クルーグマン[★12]は、ソロスのファンドにインサイダー疑惑を投げかけたが、関係者の猛烈な反発にあい、撤回・陳謝している。「私は人生のなかで最悪の一つに数えられるまちがいを犯してしまった」。このように述べるクルーグマンは、現在、ソロスと対極の立場に立つ論敵である。

 

  02.慈善事業

   では次に、1969年に始まるソロスの慈善活動について追跡してみよう。ソロスの慈善活動は、「大富豪になってから税金対策のためにする事業」ではない。またそれは、「莫大な利益に対する社会的非難をかわすための隠れ蓑」といったものでもない。ソロスは「開かれた社会」の思想に深くコミットメントしており、とりわけ1989年の東欧革命以降は、自らの政治的信念を賭けて真剣に慈善事業にとり組んでいる。

   慈善事業に対するソロスの関わりは、LSE在学中にさかのぼることができる。あるクリスマス休暇に駅で荷物運びのアルバイトをしていたソロスは足を骨折してしまい、「ユダヤ人援助協会」に援助を申し出る。その協会は、「援助の対象は社会人であって、学生は対象外」としていたが、ソロスに対して例外的な援助を与えた。ソロスは毎週、杖をつきながら三階にある協会事務所に寄付金を受けとりに行った。ところが協会は、援助を一方的に打ち切ってしまう。ソロスは抗議の手紙を送って、援助の継続を勝ちとるが、この経験はソロスの心に「わだかまり」を残すことになった。

   最初にソロスが大きく関わった事業は、1980年、南アフリカ共和国のケープタウン大学の黒人学生に対する奨学金の提供であった。当時の南アフリカ共和国は、「開かれた社会」の思想を布教するには絶好の場であると思われた。ソロスは80人分の奨学金を提供したが、基金の一部はほかの目的に転用されてしまった。ソロスは自分がアパルトヘイト政策の共犯者になっていることに気づき、結局この援助プログラムを打ち切ることにした。

   他方で同年、東欧の反体制派知識人にアメリカ留学の機会を与えた。しかしこの試みもうまくいかなかった。選考に選ばれた人は、反体制派というレッテルを貼られ、国内における名誉を傷つけられてしまったからである。このほか、ポーランドの「連帯」、チェコスロバキアの「憲章77」、サハロフ博士の反体制運動などにも援助している。

   1980年代初期におけるソロスの財団(オープン・ソサエティ・ファンド)は、妻のスーザンが自宅内で運営していた。最初にフルタイムのスタッフを雇ったのは1984年、ハンガリーに「ソロス財団」を設立したときであった(ハンガリー政府は「オープン・ソサエティ」という名称を許さなかった)。ソロス財団は、1956年のナジ政権の報道スポークスマンを務めたミクロス・ヴァザーリェをアドバイザーとして迎え入れ、これによってハンガリーにおける大きな成功を収めることができた。その成功を象徴する出来事として、有名な「コピー機事件」がある。当時、社会主義政権下のハンガリーでは情報の伝達を制限するために、コピー機には文字どおり鍵がかけられており、使用者が制限されていた。そこでソロスは、文化機関や科学機関にコピー機を寄付するプロジェクトを申し出る。ハンガリー共産党は協議の末、結局このプロジェクトを受け入れることにしたが、しかしコピー機の大量導入によって情報の利用可能性が高まると、共産党はしだいに情報統制力を失い、1988年には崩壊するに至る。ソロスの慈善事業のなかで、これほど成功したものはないだろう。

   このようにソロス財団は、オープン・ソサエティの理念を実現することを目的としているが、なかでもとりわけ重視しているのは、知的・文化的な面における援助である。例えばハンガリーにおける「作家助成プログラム」は、作家の自由な活動に道を開き、共産主義者作家同盟に取って代わる最初の組織を生み出すことになった。あるいはまた現代美術館のネットワーク作りやインターネット上のアートに対する支援[★13]も大きな成功を収めている。もちろんソロスは、援助に際して慎重に戦略を練っている。共産党のイデオロギーに抵触するプロジェクトには、彼らが認めざるをえない他のプロジェクトを抱き合わせ、愛国的な文化プログラムや広く社会的利益をもたらすようなプログラムを同時に実施したりもした。

   ロシアでは、ソロスの支援は国の教育体制を根底から揺るがせた。すなわち、マルクス=レーニン主義に基づく教科書を一掃し、省庁の全面的な協力を得て、新たに1,000冊の教科書を作成したのである。また、学校の校長を再教育したり、革新的な学校に助成金を供与したり、経済学に新しいカリキュラムを導入したり、ジュニア・アチーヴメント・テストのスポンサーになったりもした。ロシアに対するソロスの寄付は、当初は500万ドル、1993年には5億ドルにのぼり、その額はすでに、多くの西側政府の援助額を上回っている。しかしこれほど巨額な資金を取り扱うプログラムの現地担当者たちは、あまりにも大きな誘惑に抵抗できず、ロシアにおける慈善事業の運営は腐敗した。ソロスはロシアの政治的革命に寄与しようと試みたわけだが、膨大な資金をうまく使えずに苦労しているようだ。ソロスにとってお金を使うことは、お金を稼ぐことよりも難しい所以である。

   こうした活動の他に、1990年、ソロスは「開かれた社会」を啓蒙するための機関として、プラハとブダペストに中央ヨーロッパ大学(CEU)[★14]を設立する計画をすすめた。1994年7月、プラハの中央ヨーロッパ大学はポパーに講演を依頼したが、ポパーは死の直前にこの講演を引き受け、そこでソロスと再会している。翌1995年、ブダペストの中央ヨーロッパ大学において講義が始まった。この大学に対してソロスは、年間1000万ドルの資金を最低20年間贈る予定である。

   一つ美しい話がある。ソロスは最近になって、ナチスのハンガリー侵攻の際に隠れ家を提供してくれたエルザ・ブロンテスさん(94歳)が存命していることを知った。そしてソロスによって小学校を建てる彼女の夢がかなえられた。ソロスは着工式に立ち会い、かつての恩人ブロンテスさんと約50年ぶりに再会している。

   現在、ソロスの慈善事業は、年間3億5000万ドルにのぼり、世界40か国を網羅するネットワークで、約1300人のスタッフが働いている。慈善事業のコンセプトは、「開かれた社会」を啓蒙し、実践することにある。クロアチアのツジマン大統領は、「開かれた社会」を「危険な新イデオロギー」と呼んだが、ソロスの狙いはまさに、この新しいイデオロギーを布教することにある。「私たちに必要なのは批判的思考法であり、平和に共生するための機関と、意見や利害の異なる人々が共生できるようなルール、そしてきちんとした権力の譲渡を保証する民主政府、フィードバックをもたらし、誤りが訂正される市場経済、さらにマイノリティの保護およびマイノリティの意見の尊重」である。これに対して「閉じた社会」では、個人は集団に服従し、社会は国家に支配され、国家は一つの教義(ドグマ)を真理として、絶対的な権力構造を打ち立てる。ソロスは閉じた社会にたいして別の選択肢を用意し、批判的な思想を芽吹かせることにって、単一のドグマ(教義)をもつ体制を内部から無力化しようと企てる。「開かれた社会」とは、単一の教義が相対化される社会にほかならない。

   もっともソロスにとって、閉じた社会を開かれた社会にするためには、慈善事業よりも投資の方がはるかに有効のようだ。東欧諸国に影響力をもちたいと思うならば、投資をちらつかせた方がずっと効果的である。例えばルーマニアでは、政府は当初、財団に敵意を抱いていた。しかしソロスがポンド危機で活躍してからは、財団の運営はやりやすくなったという。ソロスは現在、東欧諸国に対して自己資金全1000億ドルの1〜2%、すなわち10〜20億ドルを投資している。ソロスはこれまで、西側で儲け、東側で慈善事業をしてきたが、最近では東欧諸国も投資のターゲットとしており、「悪徳資本家」としての半身を現わしはじめている。ソロスの使命は「開かれた社会」の理念を実現することであるから、そのためには醒めた現実主義の立場に立って、投資による権力行使も必要なのだろう。

   以上の二節においてわれわれは、ソロスの人生と慈事業について追跡してきた。以下の二節では、ソロスの哲学について、実質的な検討を試みたい。

 

  03.「再帰性」理論と錬金術

   ソロス自身が述べるように、金融界と政治界において彼に成功をもたらした観点は、いくつかの抽象的な哲学的観念にもっぱら依拠している。ソロスは長いあいだ、自分がユダヤ人であることを卑下する気持ちに苦しめられてきたが、しかし普遍的な富と知、すなわち、巨額の富と、経済社会に関する普遍的な哲学とを生みだすことによって、ある種の救いを得るにいたった。「同じように大儲けした人がいるとしても、私とそういう人の大きな差は、私の関心の中心が思想にあり、自分自身のためにはあまりお金を使わないという点である」このように述べるソロスは、なるほど思想家としても意義深い構想をもっている。その内容を検討してみよう。

  03―a.再帰性

   経済における「再帰性」[★15]とは、例えば貨幣価値に関する次のような現象である。いま、ドル/円の為替レートが、ほぼ均衡の状態(貨幣価値が実体経済を正当に表した状態)から、やや円高に動いたとする。通常であれば、この円高は、実体経済を反映して元の水準に引き戻されるだろう。しかしこのとき、市場参加者たちが何らかの理由で、「もっと円高になるのではないか」と予期して円を買うならば、結果として為替レートは、均衡な状態から離れた方向へ向かうことになる。為替レート(貨幣価値)が実体経済(ファンダメンタルズ)から離れていくと、今度はその貨幣価値の変化によって、実体経済そのものが変化を受けるようになる。するとその実体経済の変化は、再び、貨幣価値の変化に影響を与える。このように、実体経済と貨幣価値のスパイラルな相互作用を、「再帰的関係」という。

   こうした再帰的関係がいかにして生じるのかについて、ソロスは「知識の不完全性」[★16]から次のように説明する。およそ社会事象への参加者は、何らかの決定を下す際に、その時点で必要な知識というものをもっていない。もし、科学的に根拠のある知識に基づいて行動することができるならば、別々の投資家が同じ時点で同じ銘柄の株式を一方が買い他方が売るようなことはないはずである。われわれの知識が不完全であるのは、根源的な理由による。すなわち、われわれが対象に関与する場合、関与者の「思考」は、関与している「状況」の構成要素になっており、思考とその対象とのあいだには、対応関係が欠如しているのである。それゆえ思考は、現実の対象に完全には対応せず、必然的に「歪み」をもってしまう。さらに、参加者の認識の歪みは、再帰的にフィードバックされることによって、増幅された不確定性を発生させることになる。

   関与者の「思考」とそれが関わる「状況」との関係は、二つの機能的関係に分けることができる。ソロスは、関与者が状況をよく理解しようとすることを「認知機能」[★17]と呼び、これに対して関与者が状況の動向に影響を与えることを「関与機能」[★18]と呼ぶ。認知機能においては「状況」が独立変数であるが、これに対して関与機能においては「思考」が独立変数となる。簡単な数式を使って表すと、認知機能の場合、関与者の「思考(y)」は「状況(x)」の変数であるから、y=f(x)となる。これに対して関与機能の場合、「状況(x)」は関与者の「思考(y)」の変数であるから、x=Φ(y)となる。これらを組み合わせると、y=f[Φ(y)]、x=Φ[f(x)]という式を得ることができる。この二つの関数は、事実が認識に影響を及ぼし、その認識がまた事実の展開に影響を及ぼすというスパイラルを表現している。

   日常的な出来事においては、認知機能はほぼ一定であり、関与機能しか働いていない場合が多い。これに対して歴史的にダイナミックな事象においては、関与者の「認識」と、それが関与している「状況」の両方が変化する。ソロスによれば、均衡分析は日常的な出来事を分析することができても、再帰性にみちた歴史の動きを分析することはできない。「均衡分析は、認知機能を捨象することによって、歴史的変化を分析対象から排除している。経済理論が使用する需要・供給曲線は、関与機能だけを記述したものである。認知機能の方は『完全な知識』の仮定に置換されてしまっている」。これに対して歴史的変化においては、均衡価格に関する情報もまた、それ自体がバイアスと変動の原因となる。なぜなら関与者の認識はつねに歪んでおり、人々は経験から学ぶとしても、決して誤謬や偏向を避けることはできないからである。

   なお、ソロスのいう再帰性は、次の点でハイゼンベルクの不確定性原理[★19]とは、大きく異なる。すなわち、ハイゼンベルクの不確定性原理は、対象に対する外部からの観察の影響を問題にするが、しかし社会事象を扱うソロスの理論においては、内部において意志をもつ関与者が、同じ内部の行為者に対して影響を与えることが問題となる。またソロスの場合、実践というものが、事象に影響を与えるだけでなく、その事象に関する「理論」に対しても影響を与えるという点で、ハイゼンベルクの理論とは想定が異なる。

   さらに両者は、結論において次のような違いがある。ハイゼンベルクの不確定性原理は、統計的・集合的な可能性を扱うものであり、個々の粒子の反応については決定できないが、全体的な反応については信頼度の高い確率予測ができると考える。これとは対照的に、ソロスが取り組む金融市場においては、集計的な確率など意味をなさないのであり、個々の事象の推移こそが考察すべき対象となる。

  03―b.経済学批判

   社会における「再帰性」の性質は、既存の金融理論や、その基礎にある均衡分析によっては解明されてこなかった。市場の調整過程は、理論的には均衡に収束するはずなのに、想定される均衡状態に戻ることはない。われわれはこの事実を「再帰性」の観点から理解したいのであるが、そのためにまず、従来の経済理論がもつ難点を理解しておこう。

   均衡分析(完全競争理論)を支えている主要な前提は、およそ四つある。すなわち、(1)完全な知識、(2)同質で分割可能な製品、(3)いずれの個人も市場価格に影響を与えることができないほど大勢の市場参加者、(4)与えられた需要と供給の関数、である。これらの四つの前提は、実際にはどれも架空の想定であるが、ソロスはとりわけ(3)を問題にする。経済学者は通常、需要の分析を心理学者の研究課題であるとみなし、供給の分析を経営学者の専門分野であるとみなして、どちらも経済学の範囲から除外してきた。経済学の課題は、需要と供給の「関係」を解明することであり、需要や供給そのものを研究することではない。しかしソロスによれば、需要曲線と供給曲線は、将来の価格に関する参加者の見通しを含んでいる以上、実際には、参加者の予測と相互に影響を及ぼしあっている。とりわけ外為市場や大規模な資本移動の世界では、経済学が考える通常の因果性は、逆になる。すなわち、市場の動向こそが、需要と供給の変化を決定づけるのである。従来の均衡分析では、こうした金融市場のプロセスを理解することができない。

   他方、金融市場に関する従来の理論には、ファンダメンタル分析と、テクニカル分析の二つがある。テクニカル分析とは、株価指数、株価移動平均線、出来高、ケイ線などを分析することによって、株価の動きを類推する方法である。この手法は、確率予測という点ではメリットがあるものの、実際の事象を予測するという点ではそれほど有効ではない。またこの分析は、株価は需給によって決まるという前提と、将来を予測するには過去の経験が重要だという前提しかもたないので、あまり洗練されたものとは言えない。もう一つのファンダメンタル分析は、企業の資産、利益、配当、成長性、経営者能力などの基礎的事実によって、株の価値が決まると仮定する。この分析は、長期的な投資判断に際してはメリットがあるが、しかし株式市場の動向が企業の将来に与える影響を無視しており、一方向的な因果関係しか扱っていない。これに対してソロスは、株式市場の動向と企業の将来との「再帰的関係」を長期的観点から捉えるために、「ブーム・バスト理論」というものを洗練させていく。次に、この理論をみてみよう。

  03―c.ブーム・バスト理論

   ソロスはまず、次の二つの命題から出発する。一つは、市場はつねに、ある方向にバイアスしているという命題。もう一つは、市場の現在の状況が、その将来の展開に影響を与えるという命題である。この二つの命題に対応して、「支配的バイアス」[★23]と「潜在的トレンド」[★24]という概念装置を導入する。すなわち、市場には、その全体の雰囲気を決めるような「支配的バイアス」があり、また、参加者が意識するしないにかかわらず、株価に影響力をもつ(しかし参加者の考え方次第でその影響の仕方が変わってくる)ような「潜在的トレンド」(例えば一株あたりの利益)があると考える。その場合、株価が「潜在的トレンド」を強化する場合を「自己強化トレンド」と呼び、その反対を「自己修正トレンド」と呼ぶ(また支配的バイアスにも「自己強化」と「自己修正」の二つがある)。

   ソロスは以上のような概念装置を用いて、株価の動きがゆるやかな「ブーム(上昇)」の後に急速な「バスト(崩壊)」が訪れることを理論化する。まず、市場参加者が潜在的なトレンドを認識すると、認識の変化は株価に影響を与える。次に、株価が潜在的トレンドを強化するように動くと、今度はそれが、支配的バイアスに影響を与え、バイアスを加速したり、あるいはその修正をもたらすことになる。ここで肯定的なバイアスが加速されると、株価は期待を上回る速さで上昇していく。そしてバイアスとトレンドの相乗効果が働き、やがて株価の上昇が市場の期待に答えられなくなる状況にいたる。このとき、支配的バイアスが下方修正されると、今度はそれに対して潜在的バイアスが従属し、逆の自己強化プロセスが生じて、株価は落ちるところまで落ちる。これがバスト(崩壊)の過程である。ソロスが典型的だとするブーム・バストのパターンでは、株価が急落しても、潜在的トレンドとしての「一株当たり利益」は急落せず、ゆるやかに下落する。そしてトレンド追従型の投機的資金移動がはじまり、下落は長期化することになる。また「一株当たり利益」の下落が、株価の下落と相乗効果をもつ場合には、株価の崩壊はさらにいっそう深刻なものとなるはずである。

   以上のようなブーム・バストの過程は、市場においてつねに見られるものではない。むしろ限定された場所においてしか起こらない。ソロスの卓越した能力は、ブーム・バストの大きな動きを、逸早く察知するところにある。効率性市場仮説に基づく従来の投資ポートフォリオ・インシュアランスは、リスク管理に関してほぼ完璧に機能するが、この仮説の前提では捉えきれないような市場の不連続性にさしかかると、実際には注文をこなせなくなり、破滅的な損失を出す。これが例えば1987年の株式市場大暴落である[★24B]。ソロスが関心を寄せるのは、そうした市場の不連続性である。ソロスはある決まったルールに従って行動しているのではなく、ゲームのルールの変化を捉えようとしており、その察知能力は、市場管理能力の限界から生じる国家体制の歴史的な変動過程にも及ぶ。例えば固定相場制度のもとで、経済の現状と政策とのあいだに矛盾がある場合、投機家はその国の通貨に売りを浴びせ、切り下げに追い込むことによって、利益を上げることができる。1992年のアジア通貨危機は、そのようにして生まれたものであった[★25]。

   ブーム・バストの過程は、今後世界的に広がる可能性がある。というのも投機的資金の移動が増大し、人々がトレンド追従型の投機行動を強めるようになれば、市場は不安定になるからである。もっとも、トレンド追従型の行動にはそれなりの合理性がある。例えばある種の動物が群れをなして移動することに合理性があるように、投資家の場合にも、トレンドに追従するならば、上昇(下降)の流れに乗って収益を上げられる。相場の変り目のときには傷つくかもしれないが、十分に警戒していれば生き残れる可能性が高い。したがって、人々が「群れ」をなす習慣に甘んじるならば、経済社会はきわめて不安定なものとなるだろう。

  03―d.錬金術

   以上にみてきた「ブーム・バスト理論」は、なるほど、実際の金融市場をうまく記述してはいる。しかしその理論的なステイタスは、あまり科学的なものではないと思われるかもしれない。事実ソロスは、自分の理論を科学ではなく錬金術であると述べている。錬金術と称するには、深い理由が二つある。

   第一に、ソロスの理論は、まさに金融市場で利益を上げる方法を理論化したものであり、その思考は「参与者」のものである。参与者の思考は、科学的な観察者の立場とは本質的に異なっていて、対象(市場)に影響を与えるものである。科学的方法は、ものごとのあるがままの姿を理解しようとするが、これに対して錬金術は、物事の望ましい状態を実現させることを目指している。科学の目的は真理であるが、錬金術の目的は操作上の成功である。科学的な方法は、仮説の妥当性が実験によって確認できると考えるが、意志をもつ参加者が対象に含まれる市場社会では、実験が成功したからといって、仮説の妥当性が証明されるわけではない。ときには誤った予測をしても、莫大な利益がもたらされることがある。また、ある理論の科学性が参加者たちに権威をもって受け入れられるならば、人々がその理論に基づいて行動することによって、市場のプロセスは変化する。理論や予測は、それ自体が事象を変化させるのであり、非科学的な理論が実験として成功することもある。つまり事実は、一般命題の妥当性を判断する基準にはならないのである。

   それゆえ第二に、市場の動向を予測する理論は、たとえそれが間違っていても、成功すれば「真理」であるということになり、真偽の基準それ自体が意味をなさないことになる。近代科学が用いる真理の基準は、対象と理論が再帰的関係をもつ場合には通用しない。事実は必ずしも真理の独立した基準とはならない。したがって再帰性に関する理論は、科学ではなく「錬金術」だということになる。ソロスによれば、再帰的な命題の真理値は決定できない。命題には、「真」と「偽」と「再帰的」という三つのカテゴリーがあって、再帰的な命題は、真偽判断の不可能な領域にある。最近の理論的成果である「ランダム・ウォーク」理論[★26]は、参加者の再帰的なバイアスを一次的なズレとして処理することによって、その科学性を保持しているが、ソロスはそのバイアスを「再帰性」理論に位置づけ直し、従来の真偽基準には囚われずに、市場を理解しようとする。

   ただし、再帰的関係の効果が明らかに特定できる場合には、再帰的命題の真理性を判断することができる。例えば、IMFが特定の国について懸念を明らかにすれば、言及した国に多大な損害が与えられることが予測できるとしよう。この場合、IMFの当局者は真理を公開するわけにはいかない。事象に対して真理が再帰的に影響を及ぼすならば、真理の探求もときには非公開を要求する。再帰性の存在するところでは、いかなる科学的理論も妥当性を論証することはできないが、しかし何が誤った、あるいは歪んだ理論であるかについては、判断できる場合がある。よき錬金術は、科学的な理論の乱用を防ぎつつ、噂や勘といった悪しき予測理論を理論的に洗練させていかねばならない。われわれは、何が正しいかについて正確に判断できなくても、それを見分けるセンスをもつことはできるのであり、ソロスによれば、そうしたセンスは「開かれた社会」を築くために必要な道徳である。

 

  04.グローバリズムvs開かれた社会

   以上においてわれわれは、ソロスの哲学の根幹にある「再帰性」の概念と、そこから構築された「ブーム・バスト理論」を検討した。最後に本節では、ソロスのいう「開かれた社会」という理念を、グローバリズムとの対比において検討したい。

  04―a.グローバリズム

   均衡分析によって市場を理解することはできないというソロスの批判は、他方では同時に、グローバリズム経済に対する批判として現われる。グローバリズムは、たとえ均衡分析によって理論的に正当化されるとしても、市場の本質を理解しようとする経済哲学の観点からすれば、決して正当化されるわけではない。グローバリズムの正当化根拠は薄弱なものであり、われわれはこれを「開かれた社会」という別の社会理念に置き換えなければならない。これがソロスの中心的なメッセージである。

   しかしこれに対して斎藤精一郎氏は、ソロスの本音がどうもよく見えないとして、「市場主義で巨額な富を築きながら、何故に『市場原理が開かれた社会の基盤を崩す』と断定するのか」と疑問を呈し、ソロスを便宜主義者であると批判している[★27]。なるほどソロス自身、次のように述べている。「私は証券アナリスト時代に、仕事の都合でゆがめられた理論を承知のうえで支持していたのだから、私はほかの誰よりもずるいのだ」。グローバル市場で最も巨額の富を築きながら、グローバリズムを批判するというソロスの態度は、確かに矛盾している。最近のソロスは、金融市場に対していっそう強い規制を求めているが、クルーグマンはそのメッセージを、「私がこれ以上儲ける前に、私の行動を止めてくれ!」という意味だと揶揄している。しかし私はむしろ、「これから先、私よりも儲ける人を出さないでくれ!」という権力関心の現われであると思う。

   いずれにせよ、ソロスの野心が何であれ、その思想的メッセージが妥当なものであれば、われわれはこれを社会構想の基本理念として受け入れることができるだろう。以下では、ソロスの社会理念について検討してみたい。

   経済におけるグローバリズムは、「市場原理主義」[★28]と呼ぶこともできる。その思想的特徴は、次の四つである。第一に、市場はその自動修正機能によって均衡に向かうのであり、人々はこのことを共通の信念とすべきである。第二に、すべての人に自己利益の追求を認めることが、全体の繁栄につながると考える。第三に、集団的な決定によって全体の利益を守ろうとする試みは、市場メカニズムを歪めるものであるから、望ましくない。第四に、マネーは権力であり、権力はそれ自体で目的になりうる。マネーを求め続ける人々が最大の社会的影響力をもったとしても、これを承認すべきである。以上である。

   ソロスによれば、「グローバリズム資本主義システムの大きな欠点の一つは、それが市場メカニズムと利益追求願望を、本来はそれらとまったく関係のない活動分野にまで侵食することを許してしまった点にある」。例えば、市民的公共性や慈愛や家族のスキンシップなどは、グローバル経済によって侵食されるべきではない。

   また投機道徳の問題がある。動的不均衡過程をたどるグローバル市場において、投機家の行動は社会に破壊的な影響をもたすことがある。しかし投機家は、自分がそのように行為しなくても、別の人がそのように行為することによって、事態は同じように進行したであろうと予測できるから、道義的責任を感じる理由がない。つまり、自分の行為が代替性と匿名性の高いものである場合には、全体としての社会的損害は、各参与者の内面の道徳的問題まで喚起しないのである。グローバリズムにおいてはこのように、投機家の道徳を問えないことが、大きな問題である。ソロスによれば、グローバリズムは開かれた社会の歪められた形態であり、何らかの道徳的規範によって是正されなければならない。

  04―b.批判的人間

   では、「開かれた社会」とは、どのような道徳を要求する社会なのだろうか。ソロスはポパーを継承しつつ、「開かれた社会」の思想的基礎を「批判的合理主義」[★29]においている。「われわれは、誤っているかもしれないし、正しいかもしれない。そしてお互いに努力すれば、よりよい真理に到達できるだろう」。批判的合理主義はこのように、自らの理性の「可謬性」[★30]を承認し、批判的理性の共同行使によって、よりよい社会を模索するという道徳を要求している。ソロスによれば、投資家としての自己と、開かれた社会の啓蒙家としての自己を首尾一貫したものにする観点は、こうした「理性の可謬性」[★31]に対する信仰にある。「自分がつねに間違っているのではないかと考えるんだ。そうすると『不安』になる。不安感があるから、いつも状況に敏感でいられるし、自分のまちがいをすぐに正せる。これには二つのレベルがある。抽象的には、自らの誤謬可能性を基礎にして、綿密な哲学を築く。もっと個人的なレベルでは、私は、自分自身についても他人についても欠陥を探し回る、非常に批判的な人間だ」。

   例えばソロスは、1983年からファンド・マネージャーとして雇ったジム・マルケス(当時33歳)に対して、一日の取引が終わると厳しい反省会を行なっている。ソロスはマルケスを質問攻めにして、予測の仮説を批判的に検証するのである。反省会はしばしば深夜にまでおよんだ。批判は、マルケスの行動の自尊心を傷つけるまでに続けられたのである。このように、ソロスの「可謬性」に対する信仰は、批判的理性を行使するパートナーにもきびしく要求するものであり、ある種の知的格闘技でさえある。「何しろ私は非常に抽象的な人間だし、自分自身について考える場合も含めて、ものごとを外部から眺めるのが本当に楽しいと思っている」。

   ソロスの批判的理性は、しかしたんなる知識人タイプのそれではなく、市場社会を生きるための「野性」的な能力でもある。「私は、市場での出来事に対し、ジャングルに生きる動物のように反応する」「精神を集中させるためには、冒険をおかすのが最も有効だ。物事をはっきり考えるために、リスク絡みの興奮が私には必要なんだ。私の思考能力にとって不可欠な部分だね。リスクを冒すことは、私が明瞭に物事を考える上で必須の要素なんだ」。

   こうした可謬性に基づく批判的理性は、しかしともすれば過剰になるだろう。ソロスは「可謬性」の概念を、次の二つに分類している。一つは、「開かれた社会」を正当化するために必要なもので、批判的検討によって社会をよりよくしていこうとする穏当な要求である。もう一つは、いかなる精神や制度にも必ず欠陥があるという悲観的な信念であり、社会を不安定化させるような、過剰な要求である。ソロスの再帰性理論は、この後者のような特徴をもつ点で、批判を免れない。というのも再帰性理論は、それ自体が再帰的に作用するという自己破壊的メカニズムをもっているので、本質的な価値への信念をぐらつかせてしまうからである。人々がみなソロスのように行動すれば、市場経済は不安定なものになるだろう。

   開かれた社会においては、各人は批判的に認識することを課されているものの、批判の過剰に陥ってはならない。近代社会は、伝統社会を脱却するために、主体の自律的反省を促してきたが、しかしそうした反省が増大するならば、そこに再帰的メカニズムが働いて、社会はかえって不安定化してしまう。伝統社会や閉じた共産社会に対して批判的思考の重要性を掲げたのが「第一近代」のフェーズであるとすれば、増大するリスク(不安定性)に対して主体的・社会的に対処していこうとするのが「第二近代」のフェーズである。第二近代は、自律的反省意識の行為化が孕むリスクの問題を中心としている。その問題圏においては、ますます不安定化するグローバリズム資本主義に対応して、政治的・道徳的な対処法が求められている。「開かれた社会」とは、まさにこの課題に取り組むための理念である。

  04―c.開かれた社会:グローバリズムへの対処

   1962年に執筆されたソロスの草稿『認識の重荷』は、加筆修正の後に、『民主主義への資金提供』[★32](1980年)に収録された。ソロスはそのなかで、社会を三つの類型に区別している。すなわち、伝統的社会(有機的社会)、開かれた社会(批判的モデル)、閉じた社会(教条的モデル)である。ソロスはここで開かれた社会を、伝統的社会や閉じた社会と対比して論じているが、しかし最近の著作『グローバリズム資本主義の危機』[★33]では、開かれた社会を「グローバリズム」と対比している。閉じた社会では、思考と現実が大きく離れ、「静的不均衡」の状態にある。これに対してグローバリズム社会においては、事態の成り行きがあまりにも激しく変化するので、人々の理解がこれについていけず、思考と現実のあいだに「動的不均衡」が生じる。このために、現実は、もはや期待に対する錨の役割を果たせなくなってしまう。

   これに対して「開かれた社会」は、「動的均衡」の状態であるということができる。「動的均衡」を達成するためには、しかし、市場がファンダメンタルズのもつ価値を信奉すればよいというわけではない。ファンダメンタルズは、再帰性の作用によって変化する以上、市場はつねにそれを裏切る可能性がある。したがって、市場を安定化させるために人々が信奉すべきは、市場の示す価値によっては測れないような、社会的価値であるということになる。ソロスは、経済行動の指標となる価値と、社会一般で通用する価値を区別し、市場の安定のためには後者が必要であるという。

   とすれば、「開かれた社会」は、たんに政府の介入がない状態ではなく、法律や機構を基盤として、共通の思想体系や行動規範(「社会的価値」)を必要とする社会だということになろう。市場社会は、なるほど再帰的なブーム・バストのメカニズムがなければ安定性を保っていけるが、市場参加者たちが市場の再帰的関係に反応するならば、その安定性は、市場参加者たちだけでは保っていけなくなる。「開かれた社会」の課題は、市場を社会的価値のなかに埋め込み、その安定性を維持することである。このことは、国際的な公共政策の目的とならなければならない。開かれた社会においては、各人の「可謬性」は、協力したいという積極的な衝動を伴わなければならない。それは例えば、核戦争の回避、環境保護、グローバルな金融・貿易システムの維持、といった諸目標に結びつけられなければならない。開かれた社会は、われわれが共有すべき一定の善を必要としている。

   しかし他方では、開かれた社会は、つねに価値観の欠如という危機に晒されており、人間の無知から派生する諸問題に直面している。人間は、自分が本来何を欲しているのか、何を欲すべきなのかについて、実際にはよく知らない。また、経済活動が高めるべき「本来的価値」とは何かについても、十分には理解していない。こうした価値問題は、開かれた社会においても完全に解決することはできない。社会の本質的価値は、つねに推測されるのみであり、時代とともに変化するだろう。とすれば、社会の本質的価値を知るとは、その実質的内容を確定することではなく、むしろそうした価値に対する道徳感覚をもつことにほかならない。ソロスの考え方には、人々が洗練された道徳感覚をもって、まだ未知の価値を実現するために、「成長への共同投企」をするという理念が想定されている。

   以上われわれは、ソロスのいう「開かれた社会」の理念についてみてきた。ソロスの考えは極めて抽象的であるが、実際にはそこに、次のような具体的政策提案を結びつけている。すなわち例えば、デリバティヴに対する「最大限の監督」と「最小限の規制」、途上国への直接の資金供給、IMFによる融資保証、タイと韓国における債務の株式化、長期的には、新設の融資保証機関が各国ごとに保証限度を決めて事実上の信用量管理を世界的に行なうこと、流入した外貨には準備率を課して資本移動を規制すること、ヘッジファンド取引には証拠金を積ませること、などである。こうしたソロスの提案は、少しずつではあるが、その意義を認められつつある。実際、クリントン大統領は、ソロスの著作を読んでその提案に共鳴し、1998年9月におけるニューヨークの外交問題評議会で「50年ぶりの世界経済の大きな危機」を訴え、国際金融改革を政策の柱に据えるにいたっている。同様の主張は、同年10月のIMF・世銀総会でも強調している。

   ソロスの提案は、再帰性認識への過剰な負担を減らし、新しい公共性を構築することにあるから、その点では、インターネットが作りだす公共的世界にも期待できるだろう。すでに述べたように、ソロスの慈善事業はネット上のメディア芸術にも及んでいるが、そうした芸術は、個々の国の政治体制を超えて、純粋な美的関心の共同体をネット上に打ち立てることができる。人々はそのようなネットワークに自由に参加することによって、主体的な市民感覚を陶冶することができるだろう。芸術にかんするネット上の共同社会は、しかし「開かれた社会」とは違って、いつでも退出できるので、参加主体のコミットメントを弱め、道徳規範や知的資本を蓄積していかないのではないかという疑念が生じている。それゆえソロスの慈善事業が果たすべき任務は、ネットワーク上の知的交流をヘゲモニカルに展開することによって、そこから退出することが不利となるような、公共的な空間を構築していくことでなければならないだろう。開かれた社会とは、われわれがそこから逃れることのできないフレームワークであるが、そこに豊穣なネットワークを作るならば、各人は強いコミットメントをもって、応答責任を果たしていくことができるだろう。ネット上のコミュニティにおいても、ソロスのいう「開かれた社会」の理念が求められる所以である。

  ■註

  ★1──「開かれた社会」とは、責任を引き受ける個人を陶冶するために批判的討議や合理的反省を重んじ、漸次的に社会を改良していくことを目指す社会である。これに対して「閉じた社会」とは、部族社会・呪術社会・集団主義社会を指す。そこには個人の発意や独立はなく、したがって反省意識を高めることはかえって社会を不安定なものにする。

  ★2─―1979年に、EC諸通貨の安定を目指して発足した。ECU(欧州通貨単位)の創出、ERM(為替相場メカニズム)に基づく域内為替相場の安定化、各種信用供与制度などからなる。

  ★3──(削除した)

  ★4──ポパー(Popper, Karl Raimund, 1902-1994)。ウィーン生まれの哲学者、思想家。処女作Logik

  der Forschung, 1934(英語版The Logic of Scientific Discovery,1958『科学的発見の論理』)は、科学と形而上学の境界線を反証可能性に求め、論理実証主義の論理を破綻に導いた。The

  Open Society and its Enemies,1945『開かれた社会とその敵』では、プラトン、ヘーゲル、マルクスなどの思想がもつ危険と論理矛盾を鋭く批判し、開かれた社会を企てるべく、批判的合理主義と漸次的社会工学を提唱している。ポパーの思想の根本には4つの考えがある。(1)知識はすべて仮説にすぎず、究極的に正当化することができないとする非正当化論、(2)大胆な仮説の提示と厳しい批判的検討によって、よりよき真理に到達すべきだとする科学的啓蒙、(3)合理主義の基礎は「合理性を信じる」という信仰主義への最小限の譲歩にあるとする批判的合理主義、(4)社会変革をユートピア的に行ってはならず、制御しうる範囲で部分的に改良を試みるべきだとする漸次的社会工学である。

  ★5──Popper, K., The Open Society and its Enemies,1945『開かれた社会とその敵』内田詔夫,

  小河原誠訳、未来社, 1980

  ★6──John Maynard Keynes(1883-1946)   イギリスの経済学者で、マクロ経済学の基礎を築いた。主著は、『雇用・利子および貨幣の一般理論』(1936)。

  ★7──Soros, G., The Burden of Consciousness, (draft). この一部は、George

  Soros, Soros on Soros : staying ahead of the curve, New York,

  J. Wiley, 1995. ジョージ・ソロス著『ジョージ・ソロス』テレコムスタッフ訳、七賢出版1996に所収.

  ★8──Soros, G., The Alchemy of Finance, (new edition) 1994, Lescher

  & Lescher, Ltd., New York, ホーレイU.S.A.,Pacific Advisory &

  Consultant訳『ソロスの錬金術』総合法令出版, 1996.

  ★9──「レバレッジ」とは、梃子を意味し、小さな作用で大きな効果をもたらす場合に用いられる。先物、オプション、スワップといったデリバティヴ取引の特徴。

  ★10──M.Scholes ブラック(F.Black)と共同開発したブラック=ショールズ・モデルが、オプション理論の基礎を築いた。

  ★11──R.C.Merton 資産選択の理論を、より一般的な異時点間の消費・投資分析として展開した。

  ★12──Paul Robin Krugman(1953-)  アメリカの経済学者。収穫逓増となる産業に着目する戦略的通商政策の観点から、産業構造と経済政策を研究。

  ★13──ソロスのアート支援は、1997年の時点で420万ドルに達している。その内容は実にさまざまであり、現在、http://www.soros.org/ceu.htmlにおいて紹介されている。

  ★14──「ヨーロッパ中央大学(CEU)」とは、ソロスが1991年にブタペストに設立した大学であり、修士課程のプログラムを中心に、現在30カ国から600人以上の学生が集まっている。

  ★15──「再帰性(reflexivity)」とは、自分で自分の認識や実践を捉え返す作業のこと。とりわけ自分の振る舞いが依拠する文脈や社会構造にについて反省的に捉え返すことは、近代的な主体の理想とされてきた。しかしそうした再帰的反省が過剰になると、社会システムはかえって不安定化する。

  ★16──知識の不完全性について、より詳しくは、オドリスコル=リッツォ著『時間と無知の経済学』橋本努・井上匡子・橋本千津子訳、勁草書房、1999年を参照されたい。

  ★17──注の必要なし(ソロス独自の用語なので)

  ★18──注の必要なし(同上)

  ★19──「ハイゼンベルクの不確定性原理」とは、1927年に提唱された量子力学上の基本原理である。古典力学においては、粒子の物理状態は位置と運動量によって一義的に決定される。しかし微視的粒子を扱う量子力学においては、位置と運動量を同時に正確に決定することはできない。ハイゼンベルクはこのことが、古典的因果律の破棄につながると考えた。

  ★20──注の必要なし

  ★21──注の必要なし(本文に補った)

  ★22──注の必要なし(本文に補った)

  ★23──バイアスとは、統計調査の結果誤差のうち、一定の傾向をもった誤差を指す。

  ★24──金融・経済の時系列データの動きには、季節変動、循環変動、不規則変動などがあるが、トレンドとは傾向変動を指し、長期的な線型の上昇(下降)傾向を意味する。

  ★24B(新たに追加)──1987年における株価大暴落は、先物市場を駆使するポートフォリオ・インシュアランス(PI)のメカニズムそのものであるという見方もある。PIは、株価が上昇すると株式を買い増すので株価の上昇が加速され、反対に、株価が下落すると株式を売却し、株価の下落をいっそう加速する。これが株価暴落を招いたと考えられるのであるが、しかしPIを用いた投資会社が大きな損害を出したことも確かである。

  ★25──ある国家を破壊させるほどのブーム・バスト過程を引き起こす投機家は、その事態に対して政治的責任があるだろうか。責任はむしろ、投機を受ける側の政府にあるとみるべきだろう。1992年におけるタイの通貨危機の場合、対外赤字の拡大と国内の金融不安にもかかわらず、タイ国が高金利を維持し、対ドル相場を高水準に固定したことが原因であった。実体経済から乖離したマクロ政策を運営する政府は、市場によって評価される。

  ★26──効率的な市場において、株価は、一見ランダムに動いているようでも、あらゆる情報を完全に反映しているから、既存の情報を利用する限り、投資家は全市場参加者が受け取る収益の平均よりも高い収益をあげられないとする理論。

  ★27──斎藤精一郎「G・ソロス 蜜を求めて哲学を振りまわす市場風見鳥」『諸君』1998.2. no.30(2), pp.126-129.参照。

  ★28──「市場原理主義」とは、市場メカニズムに任せれば、社会は人々の厚生基準を全体として高めることができるとする見解をいう。何でも市場にまかせればよいとする極端な見解として、反対者たちの「わら人形叩き」に使われる用語である。

  ★29──「批判的合理主義」とは、「私は間違っているかもしれない、あなたが間違っているかもしれない、そしてお互いに批判的に検討しあえば、よりよい真理に到達できるかもしれない」とする見解をいう。カール・ポパーによって提唱された思想上の立場であり、その後、批判的合理主義の可能性をめぐって論争が続いている。

  ★30──「可謬性(fallibility)」とは、ポパーが用いた用語で、われわれの知識が完全に真理に到達したかどうかは確証できず、つねに誤っている可能性があるということ。どんな見解可謬性を免れず、絶対に正しいことはあり得ないとする見解を「可謬主義」という。

  ★31──George Soros, Underwriting Democracy. New York, Free Press,  1991.

  ★32──「理性の可謬性」(注の必要なし→★30と同じ内容なので)

  ★33──George Soros, The Crisis of Global Capitalism, London, Little,

  Brown and Company, 1998. 『グローバル資本主義の危機 : 「開かれた社会」を求めて』 大原進訳、日本経済新聞社,

  1999.